東別院の見どころ


本堂

境内後方の中央に東面して建つ。桁行28m梁間25m、周囲に軒支柱を建て、三間向拝を付ける。入母屋造とし、平側を本瓦葺、妻側を桟瓦葺とする。真宗本堂の特徴的な平面になり、内陣まわりを漆や彩画、彫物などで飾る。

浄土真宗のご本尊である阿弥陀如来を安置する別院内で最も重要な建物で、ご崇敬の中心。十七間四面の大型真宗本堂で、九州最大級の木造建築である。

現在の本堂は3代目である。最初の本堂は1674年(延宝2年)に四日市別院前身の實相山真勝寺5代目住持 丹山(たんざん)により当時としては大規模な九間四面の本堂が建立された。また九州御坊となった後、これに見合うものとして重層の大規模な本堂が建立され、両堂が並び立っていたという。1868年(慶応4年)に勤皇志士を称する一団が起こした「御許山騒動(おもとさんそうどう)」の際、四日市陣屋(よっかいちじんや)などと共に放火され、両堂は惜しくも焼失した。

現在の本堂は1880年(明治13年)に再建されたものである。修復時墨書が発見され「宇佐神木」と銘が残されており、建立にあたって宇佐神宮からの木材寄進があったことが伺える。2009年8月、国の有形登録文化財に登録された。また建立から133年経った2013年より、「日豊教区・四日市別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の記念事業として修復工事が行われ、2016年に完成をみた。

青海波模様の水板瓦

本堂屋根水板瓦の青海波模様は、四日市別院のシンボルでもある。2013年からの修復事業では、床下から発見された当初の瓦と、一枚一枚新たに手作りされた新しい復元瓦を用いている。大鬼瓦については、20のパーツを組み合わせて制作され、縦3.4m、横4mの大きさがある

太鼓楼

二重二階の太鼓楼で、東西棟の入母屋造本瓦葺とする。建立は1830年~1867年とみられる。2階は桁行2.9m梁間2.9m、東・西面の中央に花頭窓を穿ち、内部に太鼓を備える。南半部は後世の増築が見られるが、北半部は建立当初の形態をよくとどめ、伽藍景観を整えている。

寺院における太鼓は「時の太鼓」と称されるように、法要の刻限を知らせるものである。別院の太鼓も法要の刻限を知らせる時の太鼓であった。六時と呼ばれる晨朝,日中,日没,初夜,中夜,後夜の六つの時刻に打ち鳴らされたものであり、また特定の法要日にはその刻限を知らせるものであったであろう。2009年8月、国の有形登録文化財に登録された。「日豊教区・四日市別院宗祖親鸞聖人七百五十回御遠忌法要」の記念事業として修復工事が行われ、2016年に完成をみた。




山門

二重屋根の重層門で、正面幅16.2m、奥行4m、高さ15.6mと九州最大級の山門である。1865年(慶応元年)に重層の本堂に相応しい大門として建立された。1868年(慶応4年)に勤皇志士を称する一団が起こした「御許山騒動(おもとさんそうどう)」で四日市別院が放火された際にも失われることは無く、今日まで伝えられている。

山門の見所は彫刻群にあり、下層の桟唐戸に鳳凰・貫上には雲龍の彫刻が緻密に飾られている。また桟唐戸の鏡板の牡丹紋、上層の尾垂木・木鼻の禅宗風曲線、隅木の雲型持ち送りと、気(蜃気楼)を吐く蜃の彫刻など、何度見ても見飽きない。

二階正面には、四日市別院の前身となった真勝寺の名残としてまた「四日市御坊真勝寺」をあらわすものとして、山号「實相山」が残されている。

内部には三尊仏(釈迦如来・弥勒菩薩・阿難尊者)、脇に、境内経蔵より移されたと思われる傅大師像が安置されている。

建築年代と建築に至る経緯が明らかなことから江戸末期における九州北部の建築遺構として、宇佐地方文化史においても重要な建造物である。2005年3月大分県指定有形文化財の指定を受けた。


経蔵

境内の西南隅に位置する。切石3段を階段状に積み上げた基壇上に建つ方三間の土蔵造で1799年(寛政11年)建立で、御許山騒動をくぐり抜け当時の建物が残る。宝形造本瓦葺で、正面に唐破風造銅板葺の一間向拝を付ける。外壁は漆喰仕上げ、内部は目地漆喰の碁盤敷、折上格天井とし、中央に八角輪蔵を置く。丁寧なつくりになる経蔵である。

この土蔵は、経・律・論の三蔵を網羅した一切経(大蔵経)を納めており、中国・南北朝時代に活躍した傳大士の考案になる「転輪蔵」形式の経蔵である。

経蔵内には、土台から屋根裏に届く太い柱を軸にして回転する八角形の書架があり、そこに一切経が納められている。他宗では、この「輪蔵」を一回「転」させると、一切経を読んだと同じ功徳があると言われてきた。

輪蔵の下部には、損傷の著しい塑像が取り巻いている。あるいは、仏法守護の天人である八部衆であったのであろうか。本来なら経蔵にまつられるべき傳大士は、今では、山門の二階に釈迦三尊像と並んで安置されている。